

■父の仕事の都合で小学校を3回も転校
昭和31年11月6日に埼玉県で生まれました。広布家の本家は、群馬県の高崎市にありますが、日蓮の広宣流布の「広く布教する」という言葉が由来となっています。広布山というお寺もあります。ただ、父が建設関係の仕事をしていたため転勤が多く、埼玉だけでなく、東京のちょっと郊外や、大阪、滋賀、静岡にも住んだことがあります。小学校は3回も変わりました。
父の仕事は、河川で砂利を掘り、ビルなどの建設現場に提供する仕事をしていました。だから、私たちが住むのも川の近くが多かったです。私が幼稚園のころは、荒川の近くから、埼玉県の栗橋という利根川近くに引っ越しました。
そこには、1年くらいしか住みませんでしたが、新しい幼稚園に転校したら、リーダー格の子によくいじめられました。生意気だと言われた記憶があります。よくわかりませんが、目の敵みたいにされ、幼稚園に行ってもリーダー格の子を取り囲むグループを中心に相手にされません。おもしろくありませんでした。
小学校2年のとき父がまた転勤になり、別の場所に引っ越したら、今度は、周囲の友達と溶け込めるようになり、3年のときまた別の学校に行ったら、今度は、みんなと友達になる、なんてこともありました。自分が行くコミュニティに番長みたいなのがいると、そこに入り込むのは大変です。自分が、よそ者みたいになりますので。そんな番長みたいなものの有無によって左右されてしまうのかもしれません。

■野球好きで女性にモテル子供
小さいときからから野球が好きでした。野球をずっとやっていました。小学校の時は、ソフトボール、中学から野球、高校も野球でした。幼稚園ぐらいから、グローブとボールを常に持っていました。寝る時もです。
中学校のときはピッチャーをやっていました。キャッチャーは、顔が見えなくなるから嫌でした。女の子が応援に来ても、誰だかわかりませんから。当時は、巨人の長嶋氏の人気がありましたから、サードもよかったのですが、ピッチャーも女の子の声援をよくもらえたので楽しかったです。
子供のころから女性にもてていたほうだと思います。小学生のころは、女の子の誕生日パーティーによく誘われました。中学生のころは、バレンタインの日にチョコレートを随分もらいました。チャカチャカしてたからでしょうか。女の子にとって、とっつきやすい男だったのでしょう。
女性に優しくするのは父の影響があったからかもしれません。私の父は、いわゆる「昔の人」です。ちゃぶ台をひっくり返したり、母と喧嘩になるとパーンと叩く、昔の怖いお父さん、日本男児でした。父は、昭和5年生まれでしたから、戦争の体験はあまりないはずですが、厳しく育てられたと思います。ただ、自分の生活の中で、父の姿を見ていて、こういうのはあってはダメだなと思っていました。だから僕は、女性に優しくなってしまうのかもしれません。

■勉強もスポーツも普通より優秀だが・・・
勉強はそこそこできた方だと思います。当時は進学塾などありませんでしたから、普通に学校に行って、あとは自分で勉強していました。学校の勉強と、家に帰ってちょっと宿題をやる程度で、あとは野球をやっていました。
好きな科目は、英語や社会です。物理や数学みたいに、数値で明確に答えが出るタイプも好きでした。苦手だったのは、図画工作と音楽でした。特に音楽は、音程が、どうしてもわからないのです。音楽のテストで、メンデルスゾーンとかバッハが何年に生まれたか?とかは、暗記で対応できますが、実技になると点が取れませんでした。だから今でも、楽器ができる人はすごいなと思います。
私は、勉強でもスポーツでも、普通の人よりちょっとできるくらいの実力でしたが、小学校から中学校、中学校から高校と、進学するにつれて、段々と優秀な人間が集まってくるのを実感していました。たとえば、私が一番いいクラスに振り分けられると、私は、授業中に必死になってメモをとり、何回か口にして暗記しようとします。しかし、隣の人間は、ノートとらなくても一回で記憶をしています。正直、頭にきましたが、やっぱりどうしてもかなわない。彼が1時間でできることを、私は3時間費やさなくては勝てないというのがよくわかりました。
高校は、立教高校に進学しました。当時、立教高校は志木にあり、私が住んでいた川越の近くでした。父が、受験勉強も大変だから私立へ行けば楽だというので、立教高校を選びました。立教高校は男子校でした。そのせいか、男子との付き合いと女子との付き合いを明確に分けるようになりました。中学の時に付き合った女の子らとは、学校の時は会えませんので。
ただ、男子との付き合いは、それはそれで楽しかったです。男同士が、皆、背伸びしながら、大人っぽく見せるのです。私もそうだったと思います。それまでファッションなんかに気を使わなかったのに、徐々に気をつかうようになり、女の子の前に行くと、タバコぐらい吸えなくちゃ格好悪いんだ、といった感じです。
友人が池袋の喫茶店に行こうというので、「学ラン来て大丈夫なの?」、「大したことないよ」とか会話しながら、喫茶店に行ったことがあります。喫茶店に着くと、友人がショートホープを取り出します。私も調子に乗って吸ったのですが、2、3回吸ったら、なんかクルクルクルしてきて眩暈がしました。それでもうタバコはやめました。

■スマートなイメージに憧れ東京銀行へ
就職活動では、海外に行けるということで主として商社を志望していましたが、最後は迷った末に東京銀行に入行しました。外国為替専門銀行ということで海外に支店が多く、商社と雰囲気が似ていたほか、当時の東京銀行の持っていたスマートなイメージに憧れたためでした。1988年のことでした。
※本企画「The Presients~その軌跡とベクトル」は、
FOREX PRESSとの共同企画として、同じ内容を同時にアップしています。




