

■褒められて伸びる負けず嫌いの子供
1962年11月21日に広島市で生まれました。私のほかに妹と弟の5人家族です。父は、叔父が経営するマツダの下請けの会社の工場でずっと働いていました。第二次産業の高度成長期に作られた典型的な下請け会社です。母も同じところで働いていました。
子供の頃は、おとなしい感じだったと思いますが、負けず嫌いでした。負けず嫌いのところはずっとです。母親は、幼稚園ぐらいまで泣き虫だったといっています。私は、あまり覚えていないですが。
母親は、結構ビシビシと厳しく育てるタイプでした。叱咤激励なのかもしれませんが、思ったことをそのまま子供に言っていただけなのかもしれません。母親はB型で、私はA型なのですが、母は我が道をいっていたのかもしれません。
負けず嫌いの子供だったと思いますが、人知れず努力をするような人間ではありませんでした。むしろ褒められて伸びるタイプだったと思います。褒められて上手く乗せられたという感じです。
小学校の頃は、田舎だったということもあり、特に何かに所属してスポーツをやることはありませんでした。地域ごとに作られた子供会同士でソフトボールの対抗戦を年に1、2回するのを一生懸命やるくらいでした。あとは、山間の学校だったので、山の中に入り込んで遊んでいました。夏になるとカブト虫やクワガタを取りに行き、川でフナやドジョウを釣りに行っていました。山にあちこち洞穴をつくって、基地を作って遊んでいたりしました。

■家計を助けるために母親の仕事を手伝う
勉強のほうでは、算数が一番好きでした。ただ、そんなに優秀ではありませんでした。きらいではなかったという程度で、ピラミッドの頂点にいるわけではありませんでした。
私は塾というものに一切行ったことがありません。大学受験も含めてです。頭が良かったからというわけではなく、家計が許さなかったことが大きいです。塾に通えるほど所得の高い家ではなかったのです。
母親は、仕事が終わった後もアルバイトをしていました。学研の教材を地域に配る仕事です。月に一度、ダンボールで教材が家に届きます。その教材を仕分け、私も届けに行っていました。
高校生くらいになってから映画にはまりました。上映している映画を片っ端から観ていました。印象に残っている映画は、「ジョーズ」です。インパクトが強く、最後は人を食べてしまったシーンは記憶に残っています。
音楽は洋楽を中心に聞いていました。当時、好きだったのは、クイーンとボストンでした。ボストンなんてなかなか聴く奴はいませんでしたが、友達が、バンドでボストンをカバーしていたので、「いいじゃん、これ」みたいな感じで聴いていました。ドント・ルック・バックとかね。
中学、高校と軟式テニスをやっていました。いわゆる部活です。朝練もやりましたし、週末は必ず練習があるしと、ほとんど休みがなかった生活です。試験期間だけが部活の休みでした。

■セ・リーグは広島 パ・リーグは楽天
クラブ活動として軟式テニスを必死でやっていましたが、野球も広島カープの応援をしていました。私が通っていた高校は、当時の広島市民球場に一番近い高校でした。私が高校2年と高校3年の時に広島カープが日本一になったのですが、当時、日本シリーズは、デイゲームだったので、授業中でも歓声が聞こえてきます。
それでは、生徒だけでなく先生も授業に身が入りません。すると、先生は、もう今日はいいと、テレビをつけろと言って、教室でテレビを皆で観ていました。学校を休んでいた生徒がテレビに映っていたなんてこともありました。皆一体となって広島カープを応援していました。
今では、セ・リーグは広島カープを、パ・リーグでは楽天イーグルスを応援しています。球団のオーナーは、同じ役員会に出ていますし、皆知り合いが運営していますから。開幕戦は、東京からビジネスVIPをご招待、というイベントが開かれますので、我々はホスト側となり、いつもお世話になっている企業様に観ていただくこともやっています。
今年は、楽天イーグルスの久米島キャンプにも行きました。楽天イーグルスのキャンプの際に、取締役会の出席メンバー全員で久米島でディスカッションやろうということになり、私も行かさせていただきました。こういうこともあって楽天イーグルスのファンになってしまいました。
※本企画「The Presients~その軌跡とベクトル」は、
FOREX PRESSとの共同企画として、同じ内容を同時にアップしています。




