第1回:依存を嫌った新宿育ちの就職活動

■伊勢丹が小学校の通学路

1964年6月22日に東京の新宿区で生まれました。家は新宿の真ん中で、伊勢丹近くの花園神社の裏にある小学校に通っていました。本当はいけなかったのですが、伊勢丹の店内を通って通学していました。

兄弟は7つ年上の兄がいます。「女の子だから大事に育てられたでしょう」とよく言われますが、本人はあまりそう思わず育ちました。やんちゃというわけではないのでしょうが、好き嫌いをはっきり言う生意気な子供だったと思います。

わけもわからずに、「結婚はしない、独身主義でいく」と言っていました。なにかに依存したり、属したり、誰かのものになるとか、そういうことが、ものすごく嫌だった記憶があります。自分の世界がはっきりとあったのでしょうか。もちろん、いじめられっ子ではありませんでしたし、友達を作らないというわけでもありませんでしたが、少ない友達と長く付き合う方だと思います。

■フラットな関係を保った中学・高校時代

中学に進級し、すぐに卓球部に入りましたが3日目にはやめてしまいました。部に入った順番だけで、先輩・後輩のような関係が決まる体育会の上下関係みたいなものが嫌でした。そんなルールのもと、自分が上の立場に立つのも、ましてや下の立場で何かを言われるのも抵抗がありました。

勉強は好きなほうでしたが、いわゆるガリ勉タイプではなく、あくまで普通にやっていました。ただ、嫌いな科目が、地学と地理。どちらも「地」の字が付くように私は、かなり方向音痴なのです。

高校は、私立の女子校と国立の共学校を受験し、二校とも合格しましたが、最終的には共学を選びました。女子校は、校舎がきれいでしたし、制服がミニスカートで可愛く気に入ったのですが、結局、女の子だけというのに不自然さを感じたのかもしれません。

高校生活は、それなりに楽しく過ごせました。今でも付き合っている友達がいます。広く浅くというよりは、何人かと長く付き合っている感じです。部活動は、中学と同様の理由で何もしませんでした。

大学は、東大の法学部を受験しました。弁護士になりたいと思った時期もありましたし、法律というのは、基礎の部分でもありますので、どこで何をやるにしても良いだろうと思ったのです。

■自分には合わなかった日本企業

大学生活は、そういうものだろうと思ってはいましたが、あまり楽しくありませんでした。入学当初のクラスは、女子生徒が3人だけで、男子生徒にもどことなく暗い人がいたりして、とても違和感を抱きました。そのため授業もあまり出ずに、遊んでばかりいました。今となっては、もっと勉強すればよかったと後悔しています。

マネックスグループのCEOである松本氏とは、同じ大学でしたが、学年が一つ上だったこともあり、学生時代に一度会っていたようですが、当時は知合いではありませんでした。

大学も卒業が近づき、就職活動時期を迎えたのですが、就職活動というほどの活動はしませんでした。当時は就職協定というものがあり、8月20日まで企業は学生に接触してはいけないことになっていました。実際には、企業も学生も、それ以前にいろいろと動いていたようですが、私はあまり深く考えずに、何もしませんでした。8月20日になって、ようやく東京銀行、某電気メーカー、そして某百貨店の面接に向かいました。

まず、東京銀行に行ったのですが、受付の段階で男性と女性を区別していることを知り、強い違和感を抱きました。女性用の受付をすると、女性担当者が説明を始めました。それまで、ずっと共学で学び男女の区別を意識したこともなかっただけに、肩肘張って男性を打ち負かそうと考えるのも好きではありませんでしたし、そんなことにエネルギーを使っているのもばかばかしいと思いました。結局、「ここは違う」と思い、説明の途中で 退席してしまいました。

その後の2社も、一次面接は受けましたが、やはりピンとくるものがありませんでした。結局、両社の二次面接に呼ばれたものの、辞退しました。

※本企画「The Presients~その軌跡とベクトル」は、
  FOREX PRESSとの共同企画として、同じ内容を同時にアップしています。

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